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The Innermost Limites of Pure Fun

型番 The Innermost Limites of Pure Fun
販売価格 2,933円(内税)
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1970年度オーストラリア作品 
DVD “The Innermost Limites of Pure Fun ”
Created by George Greenough
2800円 消費税込 


オーストラリア・サーファーズ・ジャーナル2-2 53ページ特集 3000円
ジョージ・グリノフ・ステッカー 1枚 400円も別途販売しています。


監督 ジョージ・グリノウ
出演 ジョージ・グリノフ、ボブ・マクタビッシュ、クリス・ブロック、テッド・スペンサー、ラッセル・ヒューイ、デビッド・トレローなどオーストラリアの代表するトップサーファー。

ロケーション オーストラリア東海岸、カリフォルニア

音楽 ザ・ファーム

( 解説 )
サイケデリックカルチャーが開花した最盛期に完成した最も実験的成功を得た作品である。本作が制作された1970年といえば、実際の撮影が行われていた69年、68年は20世紀で最も革新的な数年であった。ヴェトナム反戦運動、サンフランシスコのヘイトアシュベリーに集い、ティモシー・リアリーの講義に共鳴する若者たち、ドラッグが保守をぶち壊す、サーファーはヒッピーと近づき、既存をぶち壊すことから始まったウッドストックに象徴されるレヴォリューションはショートボード革命と論理的には極めてリンクしていた。
アメリカ西海岸、オーストラリア東海岸では劇場公開され大ヒットした作品である。

9フットのロングボードはワンシーズンごとに短くなり5フットに到達する。その時代を描いた本作は、ショートボード革命の張本人、ジョージ・グリノフが自ら撮影し、オーストラリアのサイケデリック系バンド、ザ・ファームが映像に合わせて音楽を制作した。撮影はオーストラリア東海岸とカリフォリニアのシークレットポイントだ。カリフォルニアでの撮影は、ジョージ・グリノフの手作りのボードで遥か沖合のポイントへ出て、仲間内だけで波を独占している。全編を通してコンテストを究極にあるフリーサーフィンの素晴らしさを表現している。最後の水中撮影はジョージが手製のハウジングに16ミリカメラを入れて背負い、ニーボードに乗って行われた。チューブの中から撮影された映像は画期的で、後に発表されたジョージの「クリスタル・ヴォーヤージュ」ではピンク・フロイドが映像を見て感動して音楽を提供した。代わりにジョージの撮影した水中シーンはピンク・フロイドのコンサートで流された。ここには金銭的関係は存在せず、お互いがアーティストとして認め合い尊重された証である。当時、この交渉を成功させたのは1970年オーストラリアのトラックスマガジンの創業者の一人、デビッド・エルフィックだ。「モーニングオブジアース」の制作にも関わった重要人物で「クリスタル・ヴォーヤージュ」では総合監督も務めた。またジョージは「ビッグウエンズデイ」でも水中撮影に抜擢されハイライトシーンを担当している。


( 私見 )
この時代のサーフィンスタイルは、現在のレトロボードの乗り方への正式回答になっていると私は考える。カールから離れないライディング、そのためにターン、加速するためのノーズライド、トップターンとカットバックで見せるステックバック、ボードのセンターにポジションを取るフルレールのボトムターン。ロングボードからショートボードに激変しながらも、この時代にサーフィンの新しい基本が生まれている。本作にはフィッシュボードとツインフィンは登場しながいが、シングルフィン、ミドルレンジのボードの乗り方が集約されているので、その手のボードに興味ある方は是非、ご覧ください。


ジョージ・グリノフ

奇人である。そして天才でもある。
カリフォルニアの大富豪に元に生まれ育ち、1967年ショートボード革命以前にロングボードを短くした6フットのミニロングボードを完成させている。
当時は奇抜過ぎて誰も見向きしなかったが、まるでエッグ、スタビーズの原型である。

サンタバーバラで自分がシェープした様々なビークルを試し完成させていく。
スプーンタイプのニーボードも誰も真似をする者は皆無であったがロングボードではあり得ないマニューバーを描き、未来へ導いた。

66年、サイディエゴで開催されたワールド・チャンピョンシップを制したナット・ヤングは、ボブ・マクタビッシュとグリノフに会い感銘を受けている。2人はグリノフにオーストラリアへ来ることを薦めた。
ショートボード革命の夜明けは、ジョージ・グリノフ@ヌーサ1965年が定説だが、実はシドニーのニーボーダー達により試行錯誤が繰り返し行われていたのだ。だがサーフィン専門誌サーフアバウトとサーフィンワールドが辛うじて創刊され始めた1962年当時、奇妙なニーボードは誌面に登場する機会がなかった。だが彼等ニーロ達は新しいサーフボードデザインを駆使しターンで加速しながら左右上下に動き、チューブを狙うモダンサーフィンの基礎を築き始めていた。
ジョージ・グリノウがサンタバーバラからオーストラリアのヌーサを訪れたのは、その3年後である。自作の5’6”スプーンボードから繰り広げるマニューバーは「かつて存在しないもの」であった。その場に当時のワールドチャンプ、ナット・ヤングとボブ・マクタビッシュという目撃者が存在したからこそ、その日の出来事はショートボード革命の夜明けと言い伝えられるようになった。ナットはグリノウの描くラインをスタンアップでしようとジグザグに動くサーフィンの限界をプッシュした。マクタビッシュはグリノウのフィンを拝借してファンタスティック・プラスティックマシンを完成させた。一方スプーンボードは制作者グリノウ以外に乗り手が現れず40年が過ぎた。理由は浮力がなく乗るのが困難を極めたからだ。昨今の珍ボード大リバイバルブームの勢いのお陰で、神様グリノウに近づきたいの一心からオリジナル再現を試みるシェーパと乗り手が数えるほどだが出現している。グリノウは生まれながらの資産家なので商売には目もくれず、やりたいことだけを追求する。自からが開発した水中ハウジングを背負ってチューブの中からフィルムを回し「インナーモスト・リミテッド・オブ・ピュア・ファン」と、自作のボートで波探しの旅を記録した「クリスタル・ボアヤージュ」を制作。またハリウッドムービー「ビッグウェンズデイ」では水中撮影を担当するなど、クリエーターとしても大成功を収めている。その後オーストラリアに移住。現在はバイロンベイの近郊ブロークンヘッズの波を見下ろす丘上のピラミッド型の家に一人で暮らしている。昔から飛行機はファーストクラスしか乗らないが、裸足である。まさに元祖ミスター・エキセントリックなり。