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ジョージ・グリノフ
奇人である。そして天才でもある。
カリフォルニアの大富豪に元に生まれ育ち、1967年ショートボード革命以前にロングボードを短くした6フットのミニロングボードを完成させている。
当時は奇抜過ぎて誰も見向きしなかったが、まるでエッグ、スタビーズの原型である。
サンタバーバラで自分がシェープした様々なビークルを試し完成させていく。
スプーンタイプのニーボードも誰も真似をする者は皆無であったがロングボードではあり得ないマニューバーを描き、未来へ導いた。
66年、サイディエゴで開催されたワールド・チャンピョンシップを制したナット・ヤングは、ボブ・マクタビッシュとグリノフに会い感銘を受けている。2人はグリノフにオーストラリアへ来ることを薦めた。
ショートボード革命の夜明けは、ジョージ・グリノフ@ヌーサ1965年が定説だが、実はシドニーのニーボーダー達により試行錯誤が繰り返し行われていたのだ。だがサーフィン専門誌サーフアバウトとサーフィンワールドが辛うじて創刊され始めた1962年当時、奇妙なニーボードは誌面に登場する機会がなかった。だが彼等ニーロ達は新しいサーフボードデザインを駆使しターンで加速しながら左右上下に動き、チューブを狙うモダンサーフィンの基礎を築き始めていた。
ジョージ・グリノウがサンタバーバラからオーストラリアのヌーサを訪れたのは、その3年後である。自作の5’6”スプーンボードから繰り広げるマニューバーは「かつて存在しないもの」であった。その場に当時のワールドチャンプ、ナット・ヤングとボブ・マクタビッシュという目撃者が存在したからこそ、その日の出来事はショートボード革命の夜明けと言い伝えられるようになった。ナットはグリノウの描くラインをスタンアップでしようとジグザグに動くサーフィンの限界をプッシュした。マクタビッシュはグリノウのフィンを拝借してファンタスティック・プラスティックマシンを完成させた。一方スプーンボードは制作者グリノウ以外に乗り手が現れず40年が過ぎた。理由は浮力がなく乗るのが困難を極めたからだ。昨今の珍ボード大リバイバルブームの勢いのお陰で、神様グリノウに近づきたいの一心からオリジナル再現を試みるシェーパと乗り手が数えるほどだが出現している。グリノウは生まれながらの資産家なので商売には目もくれず、やりたいことだけを追求する。自からが開発した水中ハウジングを背負ってチューブの中からフィルムを回し「インナーモスト・リミテッド・オブ・ピュア・ファン」と、自作のボートで波探しの旅を記録した「クリスタル・ボアヤージュ」を制作。またハリウッドムービー「ビッグウェンズデイ」では水中撮影を担当するなど、クリエーターとしても大成功を収めている。その後オーストラリアに移住。現在はバイロンベイの近郊ブロークンヘッズの波を見下ろす丘上のピラミッド型の家に一人で暮らしている。昔から飛行機はファーストクラスしか乗らないが、裸足である。まさに元祖ミスター・エキセントリックなり。